2006年1月アーカイブ

土曜日。

江戸東京博物館|「東京エコシティ—新たなる水の都市へ」展のオープンにあたって開催された、『展開催記念シンポジウム・第170回江戸東京拡大フォーラム』の末席に出席するべく両国へ。

「総指揮」は陣内先生。展示もシンポジウムも、コンテンツ満載。田島さんによれば、陣内先生は「人格者だし知識も豊富でキレも鋭いし話もわかってくれるし気遣いもこまやかだが、唯一の欠点は、プロジェクトへのその豊富な持ちネタの注入をやめないこと」なのだそうだ。あおりを食らった展示関係者は、これ以上準備が続いたら全員息が絶えるんじゃないかという状況に追い込まれた。

「東京キャナル」は展示の一角に「未来へのビジョン」という趣旨でいくつかの提案を掲示したが、これもまた(このプロジェクトの抜きがたいノリとして)直前まであーだこーだと議論してプロダクションのスケジュールを圧迫したため、制作チームの最後の数日間は「死の行軍」になったようであった。「ようであった」と他人事なのは、今回は僕は申し訳ないけど制作に関わるのをお断り申し上げたからなのだ。経過は何度か拝見したけど。

しかし、ディスカッションの過程で共有されていたイメージというか、描こうとしていた「風景」は、こうやって展示品としてライトが当たる模型とパネルになっちゃうと、あまり「目をむくような提案」に見えなくなるのがちょっと残念。最後の仕上げに「建築模型的美学」が働いてしまうからかもしれない。しかしまあ、とは言うものの、最後にカタチに持って行った恐るべきパワーには素直に拍手。あらためて見直したぞsfc.keio.ac.jpおよびsoc.titech.ac.jp。

びっしり並んだ展示品群が訴えているのは、とにかく、江戸/東京はその始まりから、現代の価値観から見れば「エコシティ」としか呼べないような水の都市であって、そういう都市だった時代の方がずっと長く、かつそれはつい最近までそうだった、ということである。僕はかねてから、現代の東京の水辺が損なわれているという議論に必ず登場する「浮世絵」が嫌いで、そんなもん見せられて「こうでした」と言われても困惑するだけだと思っていたのだが、今回の展示みたいに手を替え品を替え時代を超えて畳みかけられるとさすがに、見終わった頃はへとへとになって、一礼して「御意」と言いたくもなる。かもしれない。ま、東京を重層的立体的に「感じる」にはよい展示かもしれん。

もうひとつの見どころは、「建築家たちによる東京湾の未来像」というコーナーである。渡辺真理氏のコーディネートで、丹下さん大高さん菊竹さん黒川さん槇さん磯崎さん川添さんら、名前を並べただけで背景に「メタボリズム」という文字がウキボリになるような大御所によるそれぞれの「東京計画」、および石川幹子さん宇野求さん隈研吾さん長谷川逸子さん石山修武さん篠原修さん庄野泰子さん小島一浩さん塚本由晴さんみかんぐみ、による東京の水辺への提案が並んでいる。それぞれへのインタビューのビデオも上映されている。

実は僕は模型を直接拝見したのは初めてだったのだが、過去の計画も現代のものも含めて、丹下さんの「東京計画1960」が一番かっこいい、などと思ってしまった。あれはやっぱり尋常じゃないな。シンポジウムで、1960年代に盛んに提案された東京湾に対する将来構想案をいくつも渡辺先生が紹介してくださった。どれもこれも、どういう形で「埋め立てるか」という計画案だったのだが、ひとり、丹下案だけが、地面から全体が「浮いている」。その姿勢が、先行デザイン会議で「あと出しジャンケンで、しかも負けてる」と(あらためて)批判されていたものでもある。でも、あれはあれで、たとえば水辺的にはエコロジカルな提案ではあった、と言えもする。首都高の大部分は「東京計画1960」的に建設された。日本橋川は水が淀んでいて水質が悪いそうだ。つまり、あの川は水流としては役立っていない水面なのである。だとすると、日本橋川を干して、そこに高速道路を通す、というオプションもあり得たわけだ。高架にしたからこそ明治の「地層」が温存された、のかもしれないじゃんか。いやさすがにそれは違うか。違いますね。

やるべき仕事がものすごい勢いで、我々の処理能力を超えて積み上がってゆくのを、もはや涙と笑いを浮かべて眺めているような、そんな一週間なのだった。が、天の助けか、中国が旧正月の休暇に突入した。それで何か解決したわけじゃないが、少なくとも関係者の大きな一部がごそっと休んでいるというのは、マラソンの給水所に来たような気にはなるような。今週のキーワードはしーぱーみー(18m)だ。Oクボくん。

金曜日。
天ぷらスワン(じゃなくて10+1)の特集の一環で、tEntのお二人(田中さん久原さん)とともにリビングワールド(西村佳哲・たりほ夫妻)を取材。なんかこう、ネジが巻き戻ったような1時間であった。

たとえば、「東横線のホームで、列車を待つ人がみんなケータイの画面に没入している、その向こうに凄い夕焼けが広がっている」。リビングワールドが開けようとする「窓」は、「都市で私たちを包囲している『2次情報の壁』に穿たれる」という。

そこで僕の質問。
いまや都市は全域であって、都市の「外部」には出ることはできない、という議論もある。どこかに手つかずの美しい「自然」がある、というのはロマンチックな幻想だ、というわけだ。でも、リビングワールドの「窓」は都市の「外部」へむけて開かれるわけで、そこには「都市のそと」に「都市ではないどこか」がある、という確信があるのだろうか?

西村いわく「(あっさりと)うん、あるよ」

まあ、そういうわけだ。たぶん、僕が同じことを誰かに聞かれたら、やっぱり同じように「あるよ」と答えただろうと思う。「都市」「包囲」というようなタームを使うと、まるで2次情報のレイヤーを作っているのは自分とは関係ない「誰か」のような響きを帯びてしまうが、実はそれは僕自身にほかならない。窓の外に映って見えるのは自分自身であったりする。

江戸東京博物館|「東京エコシティ—新たなる水の都市へ」展
というのが今週末、土曜日。
石川はシンポジウムの隅っこでちょこっとしゃべります。

住宅都市整備公団プリゼンツ:団地ナイト2
こちらは2月25日、土曜日。
あの「団地ナイト」にゲスト出演します。
くわしくはリンク先へ(じつはどういうノリのイベントなのか、見当がついていない)。

10+1 web site: 見知らぬ場所へのアプローチ──グラウンディングのまなざし
これは「予告編」でして、3月に本編が書店に並びます。
現在、関係者一同、汗と涙と底をつきかけたガッツを振り絞って制作中。
いやはや。

国土地理院の新しい地図記号 「風車」と「老人ホーム」

おお。

風車が並んでいると、かわいいじゃんか。

老人ホームはちょっと犬小屋みたいに見えるけど。

GIS NEXT

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「GIS NEXT」という雑誌の編集部から、最新号(第14号)を送っていただいた。特集は「エンジョイ!GIS;空間情報を楽しもう」。

特集の中の、「新春特別企画;編集部がGPS地上絵に挑戦」という記事で、「東京ナス化計画」が紹介されたため、掲載紙を送って下さったのだ。

GIS NEXT 地理・GISの専門情報誌

これは面白い。入門のような専門のような、この「易しさ加減」が僕にはちょうどいい。こんな雑誌が何年も前から出ていたなんて、知らなかった。いや、見かけていたのかもしれないが、まったくマークしていなかった。なんという迂闊な。定期購読しよう。

こういう雑誌を見るとしかし、様々な業種が、この分野になだれ込んできている、というのがよくわかる。紙面も全体にポジティブで「ハイ」な雰囲気が横溢しているが、それはまあ特集の趣旨のせいかもしれない。いずれにせよ、地図のリテラシーがますます重要な「スキル」になっていくだろうなあ。なんか、ユビキタスとか位置情報とか、下手すると「万能」に見えちゃうからな。

特集記事の前半に、「ポピュラスケープ」や「東京ピクニッククラブ」の紹介で、いきなりピクニシェンヌ伊藤さんのインタビューが掲載されている。写真が大きく載っていて、ほとんどピクニシェンヌのグラビアページみたいである。フォトジェニックだなあ。ピクニシェンヌ。伊藤香織ファンは購入するように。

よく見ると、冒頭の竹村先生のインタビュー記事のなかで、シンポジウムで発表する竹村さんの写真のバックに何気に太田さんが映ってる。さすがだ。なんというかGIS夫婦。

編集部が描いたナス化は、皇居を起点に「GIS NEXT 2006」という文字を、3人で手分けして自転車で回る、というものだった。ううむ、よくやった。「S」なんか、本郷や上野の台地を上下してて、けっこう大変だったんじゃないだろうか。完成してシャンパン開けてる3人の顔。その達成感、僕にはよくわかりますよ。

日本橋首都高にオブジェクション!-“美しい”景観を考えるブログ

うわ。これ↓はダメですよこういうのは。鳥生さん。
建設総合サイトKEN-Platz:景観に関するアンケート
あなたはまちづくりと景観のために、日本橋の上に架かる首都高速を移設することに賛成ですか。(yes/no)

「あってよい/消せ」の2択にしちゃうのはいけねーよ。なんかこう、「踏み絵」みたいな扱いも気に入らないし。そういう話じゃないだろう。これは「自由記述問題」だろう本当は。メディアが議論を「喚起」するのは構わないし、そういう役目を自認してもらって結構だが、編集の負担を減らすために問題を単純にしないで、もっと話を「拡散」させてくれ。さもないと「どっちみち新しい道路にするんですけど、仕様をどうしますか」っていう、市民ワークショップの罠みたいなことに。

いや、2択が気に入らないのは、僕自身が「2択できない」からなんだろうけどな。たぶん。

僕は、木下先生の「まともさ」に、心情的には非常に近いところにいる。
スケッチ・オブ・ザ・デイ:日本橋の景観論をめぐって

一方で、総裁の気持ちはわかるし、そういう人(ウチのサカイさん含む)が多くいることも知っている。こういう微妙さはけっこう重要だと思う。
「住宅都市整理公団」別棟:高架下風景について

あるいは、隊長の「美しい景観」を「制度」にすることへの危惧。
ほっとほくりく【演台】:本気で美しい景観をつくれますか

そう考えると、エイドリアン・ヒューゼさんのアイデア、「首都高の上にさらに大きなモニュメントを作り、一方で日本橋の下の水面下に木製の昔の日本橋を再現して沈める」ってのは、この2択を超える提案ではあったなあ。どこまで本気だったかわからんが。

首都高をそのまま維持しても移設しても地下化しても、首都高を首都高たらしめている「車両ー道路系」のシステムは健在なのだ。話が日本橋に集まっちゃっている間にも、相変わらず「道路」は建設され続けている。木下さんや五十嵐さんの「あえて」というニュアンスや、総裁のセンシティブな部分が、どっちに転んでも現行システムを利する「景観の善悪」に回収されてしまうのがむかつくんだと思う。

次の学会分科会のテーマはいきなり「景観」にして、日本橋の修景計画として「思わず実現したくなるほど魅力的で、関係者がまんべんなく損をする」ような、冴えた案を作りましょうよ(もしそういうのを思いつけば)。

追記:
江戸をよむ東京をあるく: お江戸日本橋の魅力とは? その1

木曜日の朝に北京へ飛んで、先方の本社で打合せをし、夕方また空港へ舞い戻って山東省へ飛び、翌日は朝から日が暮れるまでぶっ続けで打合せ(途中、中華昼食を挟む)。土曜の朝、北京へ戻ってきた。日本への帰路はお昼過ぎの便だったので、そのまま空港に居ることにした。幸い、帰りだけビジネスクラスだった(それしか空いてなかった)ため、ビジネスラウンジに行き、パソコンブースに陣取ってお昼を食べながら仕事した。

機上では、久しぶりのゆったりCクラスシートで寝たおし、目が覚めたら房総半島沖上空にいた。飛行機は高度6,000mくらいを、500km/hほどのゆっくりペースで、東西に細長い楕円を描いて旋回していた(←どうしてそんな細かいことがわかるのだ、と突っ込まないように)。

積雪のため、成田空港を飛び立てない飛行機が混雑している、という。しばらくぐるぐると時間をつぶし、予定時刻よりも1時間ほど遅れて、雪の滑走路に着陸した。成田は一面真っ白で、空港中に旅客機がぎっしりと並んでいて、なんだか越冬中の白鳥の湖のような光景。前がつかえているみたいで、「空港内、飛行機が混雑しており、ブリッジが空かないため、しばらく機内でお待ち下さい」という機内アナウンスがされた。

・・・そのまんま5時間。パワーブックのバッテリーは3時間くらいで切れちゃったし、すでに充分眠ったので居眠りもできず。乗務員が気を遣ってくれたが、そう何杯もコーヒーだのお茶だの飲んでられない。終電も終わってしまった。携帯の電源を入れたら、なんとテレデザインの田島さんから電話がかかってきた。東京キャナルの展示の、追加の画像の相談。
「いやー、いま、手も足も出ないんです文字通り。滑走路にいるんです」
「え?」

ようやく飛行機を降りると、空港のロビーは「難民」でぎっしりだった。毛布が配られていた。やれやれ、むしろ大阪に降ろしてもらって新幹線に乗ったほうが帰れたじゃんか。結局、京成の始発で帰った。成田空港に12時間くらいいたことになる。たいした積雪じゃないじゃんか。千歳を見習え。無駄に遠いし。成田空港が簡単に「陸の孤島」になることで費やされているコストを累積したら、羽田を大拡張するくらいのお金にはなるんじゃないか?もし空港を選べるなら、絶対に他の空港を使うぞ。

京成も山手線も混んでいて、ぜんぜん座れなかった。京王線はさすがに、日曜の朝の下りくらいは空いてるだろうと思ったのだが、なんと入試の日だったみたいで、車内は電通大を受けるらしい電脳系おたく予備軍みたいなキッズと、桐朋を受けるらしい楽器を抱えた女子高生たちで溢れかえっていた。ううむ。これは何かの報いだろうか。いや、というようりも、こんな赤字で始まったんだから、今週はなにか良いことがあるに違いない。うん。


ぐるぐる。

note 2006

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今年は少し遅くなってしまったが、2006年用の「ノートブック」(アナログなノートブック)を作った。

ここ数年、1月になると、職場にある手動式のリング製本機で、A4サイズの「今年のノート」を作る。
なんだか、自分が好きな厚みで作ったノートが一番使いやすいのだ。

土曜日。
大学の「デザインスタジオ2」の講評会。
秋から始まり、フィールドワークを繰り返してきたクラスの、ついに最終日。
今回はゲストクリティークとして、お忙しいなか、南泰裕さんに来ていただいた。

提案は形にして発表するが、「作品」を作ることが目的なわけではなく、それまでの都市のリサーチに主眼がおかれている、かといって「調査レポート」ではなく、自分と街との「出会い」を言語化してみる、というような、なんとも難しい演習、しかも学部2年生の成果品を、その趣旨をふまえて的確に評してくれそうな人材はそう多くは思いつかない。

終わってみれば、期待どおり、南さんにお願いしたのは大正解であった。静かに情熱的に語られた作品のプレゼンテーションや、丁寧な講評に、キッズが多く学んでくれているといいなと思う。

それにしても、みんなよくやった(涙)。今期の演習が、将来、何かを作ろうとしたときに生きてくるような経験になったことを祈る。次は、いつかそのうち街の路上で会おう。

僕は、高校の3年間を、山形県西置賜郡小国町の山間部という、日本列島豪雪スポットベスト3くらいに入る地域で過ごしたので、そういう場所での積雪の「凄味」は、ちょっとは知っている。

冬になると生活は完全に「雪モード」にシフトする。雪の降らない地域からは想像もできないような生活ではある。でも、そこに住んでいれば、たとえば「夏は暑い」というのと同じで、「冬は雪が降り積もる」。僕が1年生だった年、「56豪雪」という記録的な積雪があったが、東北本線も北陸本線も止まったのに、米坂線という地元のローカル線が平気で動き続けていたのが印象的だった。毎冬の3mの積雪に備えている地域では、それがたまたま4mになろうと5mになろうと、あんまり関係ない。(とはいえ、絶対的な閾値みたいなものはあって、量があまりに多すぎると破綻する。米坂線も、羽前松岡あたりの渓谷で雪崩が起きてしまってついに止まった。でもそれはいわば「例外的な災害」である)。数十センチの積雪で大停電した仙台のニュースに、なんだ、もろいな、と思ったのを憶えている。

「雪国」とひとことで言っても、事情は場所によっていろいろである。住宅の1階が「埋まる」ことが前提に作られていたりする地域もあるし、ある程度「孤立」することくらい予想している地域もある。地下水を利用した融雪装置が道路に仕込まれている街もあるし、たかだか1mの積雪がダメージを与える街もある。およそ、人が住んでいる場所はすべからく、地域や季節や時間を問わず、車両がスムーズにアクセスし、物流が絶え間なく行われ、エネルギーが均等に行き渡っていることが当然だ、というような「グローバル」な論理のアミを被せたとたん、その地域のありようがネガティブなものごととして浮き上がるわけである。

もっとも、いまや、どこに住んでいようと、「グローバル」論理で地域を測り見るような全域的視点はあらゆる人が持ってしまっているから、「あるべき社会生活の基盤」という想定を無視することはできない。そこで、「高齢化した過疎の豪雪地帯のような、もはや「国全体の生産」に寄与できない、不要な維持費だけ浪費せしめる地域に住む人びとは、その土地を破棄して都会に移住したほうがいい」というような主張が、妙な説得力を持つわけだ。たとえ、本気で「日本国」のことを心配し、様々なリスクを検討したうえで発言されているのだとしても、そういう賢しげな物言いには警戒を要すると僕は思う。これは、自戒でもあるんだけども、「補給路が延びきった前線を維持するくらいなら、撤退して縮小するほうが、部隊の存続のためには有効だ」という発想は、特に、自分が本部にいるという自覚がある場合は、とても容易である。

「本部の論理」はスケールフリーで、あらゆる箇所に適用可能である。というか、下手をするとそういう視点でしか地域をみることができなくなってしまう。「豪雪過疎農村と平野の大都市」の対比は極端に典型的で「わかりやすい」だけだ。関東くらいの切り取りかたをすれば、「地方都市と首都圏」に同じ対比を見いだせるし、東京都内に照準すれば、「都心と郊外」にだって同じ対比を見いだせる。都心だって、そういう図式で眺めれば、公費を投入して堤防や排水施設で維持されているゼロメートル地帯や、洪水ハザードマップで色が塗られている神田川流域の市街地は「本部に不要な負担を強いている雪国」的存在になるし、ずっと合理的に集約できる(と説かれる)超高層から見れば、低層の密集地帯は「雪国」である。

たしかに、人口は減ってゆくみたいだし、僕自身も、高度に集約した超コンパクトシティの周囲に森林化したスーパー郊外が広がっている光景を夢想することもある。ただまあ、一見、「真摯に合理的な見地から、タブーをあえて犯して、言いにくいことを思い切って暴言する」みたいな、ラジカルなつもりに見える発言が、じつはより強力な、反論を封じる力のある「本部の論理」に裏打ちされている、ということに無自覚でいたくない。「本部みたいになってください。事情が違うから同じになれない?だったらそこを出て本部へ来て下さい」ってそりゃあんまりだ。ニューオリンズのゼロメートル地帯へ行って、クローゼットにショットガンが置いてある不機嫌な住民に向かって「こんなところに住んでるからですよ」と言ってみるテストをくぐり抜けた人にだけそういう発言を許す。(←それは違う)

読書発電所: 徹底、取り急ぎ生

おー。

鑑賞:なんか、年末の慌ただしさの気配もなんとなく残りつつ、街の華やぎが浮かび上がってくる都会的な親指です。

僕もじつは、ゆうべ、帰りの電車でまたやってみた。
あらわれたのは、ここ1ヶ月の変化。
比べやすいように、1行を50音の1行に揃えてみると、

12月7日:

「さすが新宿進む線掃除中」

赤坂いてきますウェルカムコモン英語置いて
金沢基準空港京急この案
さすが新宿進む線掃除中
溜池山王調布机です都庁前
なのだにでもぬねが蚤
八景評論家付近別名ホチキス
まだ皆川六浦メモリーモクセンナ
休み祐天寺横浜
来週了解るってことだ連絡六月
忘れるをん

1月12日:

「最近しかたありません」

ありがとう一丁目うれしい延期同じくらいが
今日来る今朝こんにちは
最近しかたありませんすぐ先週それから
ただいま地下鉄つつじヶ丘です時々
永日曜日ぬ眠いので
入らない久しぶり二人変更僕
またねみんな迎えに来てメール元
休みゆっくりよかった
来週了解留守電連絡六本木
私をん


なんとなく、年明け以降、何かを諦めたか吹っ切れたようで、捨て鉢の穏やかさを感じます。

「おりゅう」の親指ポエムの変化。

12月9日:

「大平ちゃっ着きます」

相沢以下植木駅前おいしかった
開発気車下さい携帯こっち
齋藤市過ぎ関野遭遇
太平ちゃっ着きます手違い東北
なった日抜けて願います飲み会
入った一人分平気忘年会
ましたが三春難しい珍しくもうすぐ
痩せそう雪良かった
ラーメン了解るレジ録音
ワシントンをん

12月25日:

「また宮城無理メリー」

会いたいいかん上エアコン応用
会社聞いてクリスマス景色声
先したすげー線そうです
たいした中疲れたできたかね凍結
内日抜けて寝て飲み過ぎんなよ
ハガキ一安心降って変化他
また宮城県無理メリー持って
やっと夕方予定
ラーメン了解る練習ロボ
わかりませんをんね

おりゅうのご子息(中1)のポエム:

「大した父疲れる手拍子」

明日家受けてエアコンお客
か気食ってけど高校
さしにくいす生物そういえば
大した父疲れる手拍子とても
無いに抜いたねので
鼻引いた吹いて平気本文
まあみかけた向かい明星も
やりました許せばよって
らしく旅行る練習ロング
わかったをんだ

最も親指が集まってるblog::www.taro.st:->:blog:->: [親指ポエム]やばいゆっくり夜リンクリンクれれロマン。

もともとのネタもと:うなぎダイアリー

■追記:

「さすが新宿進む線掃除中」を、英文に「翻訳」してみました。自動翻訳で。

Yahoo!翻訳 - テキスト翻訳

ぬね is をん which flea eight beauty spots commentator neighborhood another name stapler is still absent from Minakawa Mutsuura memory sargasso senna, and Yutenji Yokohama next week consent る forgets in thing だ communication June with す Tokyo Metropolitan Government Office former tick on Tameikesanno Chofu desk during the line cleaning that Akasaka puts the welcome common English that there is, and Kanazawa standard Airport Keihin Electric Express this plan even Shinjuku advances to
さらにそれを日本語へ翻訳。
ぬねは、8つの美しさがもう一つの名前ホッチキスが ミナカワムツウラ記憶ホンダワラセンナからまだある解説者 近所にハンディとして与えるノミと祐天寺横浜が来週、るが 赤坂がそこにある喜ばしい普通のイギリス人を置く線掃除の間の Tameikesanno調布受付とこの計画均一な新宿が進む 金沢標準空港京浜Electric急行です 東京メトロポリタン政府事務所前のチックで6月にものだ コミュニケーションにおいて忘れることに同意するをんです

なんか、また全然味わいの異なるテキストになった。
しかし「ホンダワラ」ってのはどっから出てきたんだ。
「東京メトロポリタン政府事務所前のチック」って誰だ?

(現在、原稿執筆から逃避中)

Google Earth - Home:Google Earth now available for the Mac.

待ってたぞアース。

でも「タイガー」専用か。。。
来月までお預けだ。2月になったら、インテルマックで使うぞお。

六本木から新宿まで17kmを越える「グラウンディング」のあと、都庁の展望台に上り、素晴らしく晴れた冬の夕空に、房総半島から富士山までくっきりと見える展望を楽しんだあと、三井ビルの近くの茶店で「まとめ」のディスカッションをした。

(都庁の入り口では、警備員が手荷物検査をしていたが、バッグを開けるとパソコンやらケーブルやらアンテナが出てくる人や、スキーのストックを抱え、バックパックにローラーブレードをぶら下げた人、一眼デジカメを2つも首から下げた人などの集団(僕ら)も難なく通過した。)

その席で、たぶん田中さんが発したんだったと思うが、たとえば街で、明らかに河川の名残りだとわかる谷地形に出くわしたとき、「上流」と「下流」と、どちらへ向かうか?という話題が出た。

僕は即座に「上流!」と答え、元永さんは「下流」と言い、佐々木さんと田中さんは考えた末に「下流かもしれない」。

これは面白い。この違いは何だろうか。

いろんな分析ができそうだが、そのときに出たのは、これは街(の地表)を探求する「姿勢」の差なんじゃないか、ということだった。

上流へ向かうのはおそらく「この場所がもとはどういうものだったのか」という、「由来」を見たいというメンタリティである。一方で下流へは、「この先がどうなっているのか」というような、現在の街の「有様」を見に行く。上流には水源があったりし、その先には尾根があって、振り返ると歩いてきた谷が一続きに見える(こともある)。下流には、あまり「ゴール」がない。特に市街地では、河川の気配は下流へ向かうにつれて希薄になる。元永さんによると、ちょっとした勾配を探したりしながら歩みを進めるに、次第に感覚が鋭敏になってゆくペースと、河川の気配が薄くなってゆくペースがうまくシンクロするのだそうだ。上流では、「こういうわけだったのか」というような、原因を突き止めたような(突き止めてないけど)達成感がある。下流では、「こんなふうになっていたのか」という、「現在の姿」を目撃する喜びがある。

佐々木さんいわく、たぶん我々は、上流へ向かう人と下流へ向かう人がすれ違った時に、そこで共有できるプラットフォームを作ろうとしているのである。上流派と下流派に共通しているのは、どちらも川筋を「歩いている」ということである。そして、我々をして川筋を歩かしめる動機というのは、「都市には我々の知らない(地図に描かれていない)場所が(その角を曲がると)ある」という確信なのだ。

日曜日。

春先に出る、10+1誌の特集の「取材」というか、「実践/実験」の手始めとして、それぞれ用意した「装置」を携え、都心を歩くべく、佐々木一普さん、田中浩也さん、元永二朗さん、および編集部の横田さんと、六本木一丁目に集合。記事の発表前に、こんなことをここに書いていると、なんか最初から手の内を晒しているよーな気もするが、まあ、「もったいぶる」柄でもないし、思わぬコメントやメールを頂いてブレイクスルーすることもあるし、いいのだ。アイデアのベータテストなのだこういうのは。

集合するなり、田中さんと元永さんは荷を解いてノートパソコンと測位装置を取り出してセッティング。佐々木さんはなんとローラーブレードとスキーのストックを持参されていた。あとでわかったが、これは街の地形を顕在化する、実に優れたツールであった。

前半は六本木から南青山への「急峻」な台地と谷を横切り、後半は表参道から代々木、西新宿へ、渋谷川の支流が描いた微地形をトレースした。地形図を確かめ、アスファルト道路の傾きに目を細め、排水本管のマンホールの水音に耳を澄ませ、東京の下町出身の横田さんをして、もう以前のように東京を見れないと言わしめた、なかなかディープな探索でありました。

retrievr

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retrievr - search by sketch

実はぼくも昨日やってみたんですが、

なんか、描き込めば描き込むほど妙なイメージが検索される。
ちょっとコツが要りそうだ。

cut-model

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Urban landscape search engine: 矩計アパート

深大寺北町周辺を地図メカが移動していった気配がします。

年末年始本。

  • M. G. Turner, R. H. Gardner, R. V. O'Neill著、中越信和・原慶太郎訳「景観生態学」文一総合出版、2004

  • 調べたいことがあって再読。

  • 野中健一編「野生のナヴィゲーション 民族誌から空間認知の科学へ」古今書院、2004

  • カラハリのブッシュマン、極北の雪原のイヌイト、マレーシア熱帯雨林のオランアスリ、ミクロネシア・カロリン諸島の海の民、といった狩猟採集民族が、どのように空間を認知して広大な土地を正確にナビゲーションしながら移動しているか、という報告。たとえば、ジャングルのオランアスリが身につけている、河川の流域の認知地図は、個人の出生やエピソード、そのときの集団のキャンプ位置など、「個人と川とを結びつける」クロノロジーとして記憶されるという。「海の民」のナビゲーションはちょっとすごい。周囲に島も何も見えない大洋上で、星座によって「方向」を把握しつつ、「エタック」という「見えない(想定された)島」を支点にした「仮想グリッド」に乗ってカヌーは進む。
    「移動するUCS」とでも言いましょうか。にわかには想像できないような「認知地図」。
    僕なんか、eTrexの電池が切れた時点で完全にロストして、その日のうちにサメの餌になるであろう。
    きっと、スリバチ学会長の皆川や、浅草キッドの水道橋博士は、この「エタック」が見えているんだろう。

  • 中谷礼人「セヴェラルネス 事物連鎖と人間」鹿島出版会、2005

  • 「いついかなるときにも、私たちは何かに触れている。これは実に驚くべきことではないだろうか。」

    「都市連鎖」、「先行デザイン宣言」、「都市の血/肉」と、ようやくにして、中谷氏の思想が(少しずつ)わかってきた(ような気がする)。

    それにしても、「先行デザイン宣言」はよくできているなあ。なんか、去年は1年間そればっか言い続けてきたような気もするが。読めば読むほど、見れば見るほど、もう、いやになるほど素晴らしい。どーしてこれが、特にラ系のあいだでもっと話題にならないのかわからない。

    まあいいや。原稿書かないと。

    考古学者による、「知の義憤」
    アースダイバーをダイブする

    その道のプロがこういうツッコミを入れている、というのが瞬時にわかる(アースダイバー、と検索すると引っかかってくれる)のが、ネット時代の恩恵のひとつでもある。でまた、「半可通の大胆な放言」に機嫌を損ねた専門家が「それは違うだろうがよ」と解説してくれると、それ「込み」で、期せずして平凡な入門書よりも、より刺激的な「啓蒙情報」になったりもし、僕のような素人には有り難い。

    「アースダイバー」の「視点」というか、地形をきっかけにして昔と現代を「つなげてみる」というアプローチはとても面白いと思うのだ。たぶん、必要なのは「鵜呑みにしない度」というか「眉につける唾の量」というか、「大胆で迂闊な面白い放言に対するリテラシー」なんだろうな。僕だって、「地形としての建築」とか「ランドスケープとしての建築」とか「風景をつくる土木構造物」とか、「メディア・ビオトープ」とか「ランドスケーピスト」とか、「ツル植物でもって荒廃した生態系を回復する地に生えた建築」とか「世界を巡る森のタンカー」とか(←しつこい)にはむかつくしな。

    marginBlog:下末吉チルドレンとしての谷戸地形

    おおお。そういえば「発達史地形学」には同じようなことが書かれてあった。たとえば麻布あたりの台地と谷は、豪雪地帯の街路で、融雪散水している道だけ舗装面が見えていて、周囲に雪の壁ができているような、ああいう感じの出来かたをしたのだ。谷は「あとから」できたのではなく、海が退いていった名残りとして、「以前からあったもの」が残っているわけである。

    僕はどちらかというと、こういう「地形の由来」とか、地質図の沖積層の等深線に描かれた「埋没段丘」とか、「東京タワーや新宿の超高層ビルなどは、これより古い、二,三〇万年前の砂礫層(東京礫層)に基礎をおいているので、最新の都市はさらに古い自然に支えられているといえるであろう。(貝塚爽平『富士山はなぜそこにあるのか』)」なんていう記述にぞくぞくする。アースダイバー的視点とはちょっとズレているかもしれないが、まあ、それを念頭に置きつつ、話を聞いてみる(そういう機会が予定されているので。)のが面白いかもしれないな。